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乗りテツ、北へゆく [その他見聞]

新幹線再開、のニュースに落ち着きを失い、はるばる秋田までやってまいりました!!
まだちょっと寒いし、微妙に花粉も飛んでいるような…
この時期の東北は修学旅行以来。一度やってみたかった旅です。
桜と美味しいものを追いかけて観光してきます。
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列に入れよ [その他見聞]

キャストの組合せが多すぎて本日やっと希望のメンバーが実現、人生初の「レ・ミ」@帝劇を観てきました。
さすがに古典そして骨太の作品、突っ込みどころがない。まあそれが寂しかったりもしたのですが…群像劇なのに訴えたいテーマが伝わってくるのは良いなあ。

岡さんは噂に違わぬ「男・紫苑ゆう」でした。入り込みすぎ!! そして美形・美声。やっぱ素敵…
たっちんは進化を遂げていました。また歌が多面的になって、今後ますますもっと、いろんな作品を観たいと思わせる歌い手さんです。
バルジャンは祐さん。どうもこの人が人間を演じていると違和感あるなあ。黄泉の帝王かユダヤ人の王か、もしくは劇場に住んでる怪人というイメージ。正直ちょっと年齢不詳なのは不利なんじゃないかと思った。でも背中がすごく語る人です。それは積み重ねてきたものなのでしょう。

舞台と客席の熱気(節電か!?)で汗だく。有楽町駅までダッシュし、これから私も列に入ってきます。
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泣きたいときの [その他見聞]

「初日」というキッカケがないと行くチャンスを逃しそうで、映画「阪急電車」を観てまいりました。
原作の空気感も残しつつ、また違ったエピソードもあり、面白かったです。

いちばん好きなキャラ、小さいほうのショウコちゃんが素晴らしい演技で。あの泣き芝居は相当迫力ありました。そして南果歩さんのお芝居も…さすがでした。
車内アナウンス、駅のアナウンス、停車中の列車が「ぐるる…」って音を立てるのも、車両も沿線の風景も全部まんまで、鉄子的にも大満足の内容になっております。純粋に映画として楽しんでいたのかどうか、自分でもよく分からない…
阪急電車が走るのを大画面で見てるっていう時点で泣けてきて、それぞれのエピソードもやっぱり好きで、最初から最後まで人目を憚らず思い切りウルウルしてました。泣きたいときの有川浩。

連休初日の横浜は晴天、日本丸の帆降ろしも間近で見られました。
もう少し散歩してから帰ることにします。
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終着駅は、きっと [その他見聞]

この日曜日、映画「阪急電車」公開記念トークイベント「電車でつながる『ひと』と『まち』~阪神間エリアの魅力と可能性~」@関西学院大学に参加してきました。月末の封切りを前に、試写会でも何でも良いからイベントに参加して盛り上がりたくて、会場が関西であることも深く考えずに抽選に応募したところ、直前の火曜日に当選ハガキが届いたのでした。関西か…週末スーツ買いに行く予定だったのにどうしよう、と一瞬迷ったものの、ちょっと遠出するのもアリかな、それに桜も見てこようかな、ということで思い切って一泊旅行にしてみました。

土曜日は関西へ出向くとお世話になる合唱仲間のSさんご夫妻と夕食。相変わらず良い方達で…至れり尽くせりの温かな歓待を受け、ついつい夜更けまで喋り倒してしまいました。お嫁様からはあの地震の日以来、ちゃんと家に帰れたのかとか、食料品は手に入っているのかとか、折に触れて心優しい状況伺いのメールを頂戴して本当に感激したのでした。ああ本当に良い人。今回も急なフリなのに時間をつくってくださり、それなのに完全にこっちが一方的に喋ってたよな~。もう気分スッキリで本当に癒されました。楽しかった! ありがとうございました♪


日曜日はゆっくり各駅停車で阪急沿線の桜を愛でつつ関西学院大学のキャンパスへ。キャンパス周辺の桜がまた、噂に聞いた通りの絶景でした。もともとあのキャンパスは景色が良いからね。

それにしても、神戸へ行くとどうしてこんなに癒されるのでしょう。大袈裟じゃなく、戻ってくると体調が良いというか、旅行の疲れはあっても気分が爽やかになっている確率が高いです。まあ遊びに行ってるんだから当然か…。良い感じに情緒ある阪急電車、海があって山があって人が温かくて。神戸である、というだけでこんなに幸せな気分になれる、その秘密はどこにあるんだろう…という疑問に、いみじくも今回のトークイベントはドンピシャの答えを提示してくれました。

イベント前半は映画プロデューサーと出演女優さんによるトーク。関西発信の、全国の人に見てもらえる映画がつくりたかった。どこにでもいる人たちの、でも心に響く科白のちりばめられた、そしてきっと阪急電車だからこそ実現した特別な物語。

後半は、「魅力ある『まち』を創るために」と題したパネルディスカッション。阪急電鉄の角社長、関学の新任学長、関西ベースの女流作家・玉岡かおる氏のお三方のトークにより、阪急電車の開通・発展とともに「まち」が形づくられてきたこと、阪神間に住むことの魅力が紐解かれていきます。

阪急はもともと、鉄道を敷いたところに住宅や商業施設・レジャー施設をつくる、という順番で発展していった路線です。先行企業との差別化を図るために周到な事業プランを練り、その中に大学の誘致があったり宝塚歌劇があったりした。鉄道事業者と沿線住民はいわば運命共同体で、沿線の皆様に「安全と安心な生活」「文化」「教育」をお届けすることを重視していること、例えばファミリーランド跡地の再開発も阪急・宝塚というブランドを毀損しないことを念頭に置いたこと。旅行や出張から戻ってきたときに、あずき色の車体や駅舎を見て、ああ我が家に戻ってきたんだと安心してもらえるようなものを残し、続けていきたいと思っていること。

関西学院をはじめ沿線にキャンパスを置く大学・学校は、山と海、高い文化の薫りに囲まれて、単に学問を修めるだけでなく人間としても豊かになっていく。大学を誘致した小林逸翁にも、大学創立者や歴代の学長にもそんな思いがあったこと。

阪急電車に乗っている人は皆おしゃれで、文化的で、心も豊かな人ばかり。電車に乗り合わせることで学んだことも多かった。以前は優先席すら設置する必要がないくらいモラルの高い路線だった。私たちは、阪急沿線民である自負、阪神間に住む人間としての自意識を持たなければならない。

そして、東日本大震災について。神戸が復興したこと、今こうして元気にやっていることを示すことが何よりも応援になるし、阪神間の人間には手伝えることがきっとある。皆で手を取り合って立ち向かっていきたい…

…もう何だか、東京の人間からしたら(東京から来ている人がいるなんて想定していなかったんだろうなあ…)打ちのめされそうな内容でした。東京は何でもあって、皆から羨ましがられる土地みたいに錯覚しているけれど、結局なんぼのもんでもないということを、東京の人間はこの1か月で痛いほどに思い知らされてきました。本当は皆そんなに打たれ強くないクセに、不安なクセに、機械みたいな顔して満員電車に乗って会社に行って、それで日本経済回してるみたいな気になってる。自分の住む土地に愛着があって、実際に豊かな自然や豊かな文化っていう裏付けもあって、今回の震災にしても掛けるべき言葉を持っている、真っ直ぐに向き合える阪神間の人達が、何だかものすごく羨ましかった。東京にない「何か」をまざまざと提示された気分でした。

うまく言葉で表現できないのですが、東京に住む我々が闘わなくてはならないのは、まさにこのことなのかもしれないと思いました。よって立つところのなさ、情報の洪水に右往左往するしかない脆さ。東京はそうやって膨らんできたし、見たくないところに目をつぶってきたのかもしれないです。リアルに「国難」と呼ぶしかない状況に直面して、長い時間がかかるのも目に見えていて、日本の首都を自負する東京はけっこうな闘いを強いられている気がしました。


本当は花の道の桜を見てから東京に戻るつもりが、さすがにバテ気味でギブアップ。帰りの新幹線は記憶がないくらい熟睡してしまいました。そして月曜日、あの日から1か月。まだ大きな余震があって落ち着かない日々ですが、旅先でもらった癒しパワーで、少しずつでも進んでいきたいと思います。いろんな街にいろんな人が息づいているのだと思うと、なるほど一人じゃないんだなとじんわり実感しています。

どんな夢でもいい [その他見聞]

観てまいりました、ミュージカル「ヨセフと不思議なテクニカラーのドリームコート」@国際フォーラム・ホールC!!



この作品の存在を初めて知ったのは中学3年のころ、サラ・ブライトマンがアンドリュー・ロイド・ウェバーの作品を歌ったごく初期のアルバムCDに入っていた「Any Dream Will Do」を聴いたのが最初だったと思います。ALWのデビュー作品ということは知っていましたが、その全容を知ることになったのは2年後くらいかな。親が仕事でロンドンへ行った際にALWのミュージックビデオみたいのを買ってきてくれて、その中に「ヨセフ」のハイライト映像が入っており、何だか陽気なミュージカル作品に見えた上、主演していたJason Donovanという男性が大層なイケメンで。同級生数名を巻き込んでハマった作品でした。

後に「ライオンキング」などで名を馳せることになる作詞家ティム・ライスの歌詞がまた良くて、ノートに書き写したりCD聴きながら受験勉強したり、はたまた出てきたフレーズをそのまま英作文の課題に転用したりと楽しみまくっていたミュージカル。最近NYでリバイバル公演をしているのも知らなかったのに、それが東京でツアーをするなんて。これは必見、ということで当時一緒にはまっていた同級生と行ってきました。


作品に対する思い入れが強すぎて、逆にガッカリしたらどうしよう、と少し不安だったのですが…楽しかった。予想以上。

ストーリーは旧約聖書のヨセフ物語。ヨセフを「夢見る少年」と呼び、どんな境遇になっても夢をあきらめないことを子供たちに訴えるシンプルな構成です。

構成はシンプルな分、音楽のアレンジが多種多様で、弟ヨセフに嫉妬する兄たちのナンバーが「ウエスト・サイド・ストーリー」の「クール」のパロディだったり、自分の見た夢について語るエジプトの王様がエルヴィスふうだったり、牢屋に繋がれているはずのヨセフのところへ「ヘアスプレー」ふうのダンサーが励ましに来て、そのままネオン照明の前で歌い踊ったり。衣装・小道具も時代考証なしで、エジプトへ食料を求めてやってきたヨセフの兄弟たちには「Welcome to EGYPT」と書かれた紙袋が結婚式のお土産みたいに配られたり、行商のイシュマエル人がリュック背負ってたり、パン焼き職人が白いコック帽かぶってたり。ちょいちょい日本語のアドリブもあり、最初から最後まで凝りまくりで楽しさ満点の舞台です。

1968年の初演当時は15分あまりの小作品だったのを、アレンジを加えに加えて今の形にしたのが20年くらい前。そこからまたバージョンアップしてたけど、とにかくかなり好きなタイプのミュージカルです。ストーリーが単純で、適度にハチャメチャで、音楽が良い。虚構の世界だからこそ、限界まで荒唐無稽に、かつ親しみやすく味付けし、なおかつ物語の持つメッセージは破綻させない。最後に黄金の馬車で故郷に戻ったヨセフが、大団円を背に「Any Dream Will Do」を歌う、という学芸会のような光景に、はからずも涙がボロボロ流れてしまいました。

どんな夢でもいい、という歌を聴きながら突っ走っていた高校生の自分を思い出し、夢とか言われてもピンと来なくなった最近の自分を思い返し、何はともあれ「ヨセフ」を生で観るという小さな夢が叶ったことに感無量になりつつ、フィナーレで飛んできた紙テープを拝借して劇場を後にしました。14日(月)まで。チャンスがあればもう一度観に行きたいな…

迷う、迷わない [その他見聞]

高校生のころ、音楽の先生に「評論家になるな」という趣旨のことを厳しい口調で言われたことがあります。音楽でも何でも、「好き・嫌い」は言っても良いけれど「良い・悪い」を言う人にはなるなと。深く印象に残っていて、今でも肝に銘じています。

日本テレマン協会第194回定期(東京公演)「高田泰治によるJ.S.バッハの世界」@東京文化会館(7月16日19:00-)聴いてきました。
演奏曲目はBWV846とBWV988「ゴルトベルク変奏曲」。会場へ向かう途中に偶然にも音楽の先生からメールが届いたからというわけではないですが、久々に先生からの言葉を思い出しました。

「ゴルトベルク」はCDでは聴いたことがあったし、あまりに印象的な作品なので楽譜も見たことがあります。でもライブで全曲通して聴くのは初めて。休憩なしのブチ抜き90分、ちょっと軽く考えてました。長かった…
デザートバイキングを全制覇したときのような(←したことないけど)達成感と満腹感がありました。なんていうか、全部メインみたいな。フルコースのように緩急あるわけでもなく、普通のお料理みたいに火を通したり香辛料でごまかしたりするんじゃなく、繊細なもんは繊細なまま味わう、みたいな感覚もデザートを食べ続けている気分にさせられる時間でした。

チェンバロはすごく繊細な楽器です。鍵盤をどんなふうに押したかが如実に音に出る。弾く人の迷いも考えていることも、弦の弾かれる強さや音の長さになって全部こっちに伝わってくる。序盤は正直なところ、チェンバロが鳴らす音がリアルすぎて聴いてるこっちがビクビクしてしまいました。
でも途中から、これは怖がらずに聴いて良いんだなと思えるようになって、どんどん演奏に引き込まれていきました。何というか、弾きようによっては変幻自在、無限の音色を持つ楽器なのだということが、迷いのない演奏から伝わってくる気がしたからです。

迷いのない演奏。楽器の演奏に限らず、歌にしても仕事にしても、私には一生訪れない瞬間ではないかと思います。たぶん練習を重ねれば良いというものでもない。いわゆる「神さまが降りてくる」感覚って、ちょっと縁のない世界です。
これでもか、っていうくらい突き詰めても、まだもっと先があるのかもしれないと思ってしまう。これは才能というよりも性格の問題なんじゃないかな。例えば何かのキャッチコピーを考えるときや、私生活で言ったら新しい靴を買うときなんかもそうです。良いと思うんだけど、世の中にはもっともっと良い「解」があって、自分はまだそれに出合ってないような気がしてしまう。演奏を聴きながら、この人には「解」の見える瞬間が訪れるんだろうなあとぼんやりと感じていました。本当はどうなのか分からないけど、少なくともそんなふうに聞こえる演奏です。

迷いのない演奏と、「解」が見つからずに迷いながらぶつかってくる演奏。それこそどちらが「良い・悪い」ではなくて、聴く者の感受性にどう触れるかなんだろうなあ。私は自分が「解」を出せない性格だから後者には強く惹かれてしまうのですが、一方で説得力たっぷりのバッハも今の自分には必要だったような気がしてしまいました。
どんな作品からも「父親」を感じさせるバッハ。「ゴルトベルク」も温かく厳然としたサウンドが本当に心地良いのですが、それがものすごい説得力で濁流のようになだれ込んでくると、背中をバーンと強く叩かれているような気分で。心が折れるかと思うほどの激務で少し弱っていた私の根性に、「そんな甘ったれた考えじゃいか~ん!!」と喝を入れられているような。終わってみたら背筋がまっすぐ伸びた状態で歩いてました。偉大なりセバスチャン。

演奏者・高田さんは不思議というか挙動不審というか、独特の雰囲気を漂わせている人。客席で偶然お会いした知人が「ミステリーだわね」と断言して帰っていかれました。演奏してないときは目が泳いでるのに、ひとたび鍵盤に向かうとまっすぐ前を見据える視線、素敵でした。やっぱり演奏会っていいな。

甲子園会館の音楽會 [その他見聞]

留守電を入れていただいたのに惜しくも消去してしまった美声のあの方、「夜のエ○○○○ト(イニシャルE.Y.ね)」ことテノール・畑儀文先生のご案内で、はるばる兵庫・西宮まで演奏会を聴きに行ってきました。
ご縁あって何度かご一緒させていただいている畑先生より、ドイツ語和訳のお仕事を頂戴したのが「マタイ」本番の日。つらつらと仕上げ、モノも言わずにデータごと郵送で納品したところ、「届きました、ありがとう」とのお電話いただいたのに出られなかったんです。その節は失礼いたしました。
で、その訳詞のお披露目となる演奏会、先生が教えておられる武庫川女子大学音楽学部の「甲子園会館の音楽會」シリーズ、「シューマン生誕200年 ロベルトの夢、恋、そしておとぎ話」を聴くために、日帰り弾丸で関西へ遠征してきたのでした。
5月の留守電には「本番についてはまたご案内します」って入っていたのに、その後まるで連絡もなく、これは行ったらご迷惑なのだろうか…とクヨクヨ考えていた前日の夜。サッカーが終わったくらいだから22:30とかかな。「で、明日どうします? いらっしゃいますか?」とかいう呑気な電話がかかってきたのでした。そこで「直前まで連絡よこさないなんて、ひどい」とか強い調子で抗議できれば良かったんですがそんな根性もなく、尻尾を振って「行きます♪」と即答し、12時間後には新幹線に乗っていたという…

会場は、由緒ある甲子園会館。かのフランク・ロイド・ライトの流れを汲む建築で、是非訪れてみたいと思っていたので建物に入れただけでもテンションアップでした。風情のある外観・内装と、何よりお庭がとってもきれい。開放的な窓から外を見たい放題で演奏する側も聴く側も和やかな気分になれます。
演奏曲目は、最初の「トロイメライ」を除けばかなりレアな曲ばかり。タイトルに「夢、恋、おとぎ話」とあるだけに夢見心地な音楽ばかりでとろけそうだったのですが、そのほとんどが30歳を過ぎてからの作品と聞いてびっくり。夢見心地も良いけど、もっと地に足のついた曲もつくってくれたまえ~と突っ込みたくなるようなサウンドでした。

朗読とピアノ(そう、歌がないんです)のためのバラード「美しいヘトヴィヒop. 106」を日本語で上演するための訳詞をお手伝いさせていただきました。ヘッベルというドイツの悲劇作家が書いた詩にピアノ伴奏がついたものなのですが、またこれがわけわからんストーリーで。支離滅裂かつ荒唐無稽。でも物語の色彩がひたすら美しくて、それをどのように朗読用に落とし込めるか悩みながら日本語にしていったのでした。
どんなふうに出来上がっているのか、お客様にちゃんと伝わる日本語になっているのか心配で心配で、当日は朝から胃腸が絶不調、新大阪から移動するのに2回も途中下車してお手洗いに駆け込むほど緊張しました。演奏中も穴があったら入りたいような気分でした。訳した自分の手を離れ、演奏者と朗読者の作品として羽ばたいた「美しいヘトヴィヒ」の物語。もっと味わって聴けたらよかったのになあ。でもすごく貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました。

最後はピアノ連弾と4人の歌手による「スペインの愛の歌op. 138」。畑先生と、同じく音楽学部の先生方による競演で、スペインっぽいんだかドイツっぽいんだか、ドイツ人から見たスペインの景色なのか、バッハの「イタリア組曲」が結局さほどイタリアっぽくないのと似た、アバウトに情熱的なサウンドと詩が微笑ましい小曲集。畑さんの美声は相変わらず心地良く、ず~っと聴いていたくなる歌声です。そこはかとなく漂うヌクヌクとした安心感。遠征した甲斐がありました♪しばらくマイブームは続きそうです。

訳詞をつくるに際して資料をあたって感じたことは、シューマンって作品はきれいなんだけど何だか残念な男なんですよねえ。女心を分かっていなかったり、大人になっても夢見心地な作品ばかりだったり。しゃっきりせんかい!! と肩を揺さぶりたくなる男です。ライン川に身を投げて死のうとしたり、お酒に走ったり。そんな繊細なメンタリティから生まれる優しい曲たち。でも弱ってるときに聴いたら慰められるのかもしれないです。とにかく仕事中心で心身の健康も顧みないような毎日、シューマンのサウンドはマイナスイオンを含む清水のように癒し系でした。

終演後はちゃっかり出演者の皆様の打上げに混ぜていただき、お腹いっぱいで関西を後にしました。
どこでもそうなのかはたまた偶然か、打上げに参加する率って楽器の方より歌の方のほうが高いですよね…後から年齢をお聞きしてビックリしたベテランの先生方、本当に艶やかで力強い美声に感動し、是非お近づきになりたい…と思っていた方々と親しくお話させていただき、これまでのご経験や音楽に対する思いなど拝聴できたばかりか、最後はお酒の力を借りて自分の歌に対する思いや不安を感情のままにぶちまけてしまい、温かいアドバイス(!?)まで頂戴してしまいました。
長く歌っていらっしゃるベテランの歌い手の方々と直にお話ができたのは思わぬ収穫、すごく励まされました。あまり難しく考えず、楽しく歌ってごらんなさい、とのことでした。今もまだ温かい余韻に浸っています。どうもありがとうございました!!
「甲子園会館の音楽會」シリーズはまだまだ続くそうです。また機会があれば聴きに伺いたいです。遠いけどね…

生きて何を成すか [その他見聞]

久々に連ドラを一度も欠かさずに観ました。
「不毛地帯」素晴らしかった!! すごい充実感に包まれています。

原作からして大好きなので大変楽しみにしていた作品。
キャストも豪華、演出も緻密で本当に見応えあるドラマでした。
大好きな唐沢くんを存分に堪能でき、脇役陳にも楽しませていただきました。

生きて何を成すか。静かに問われていた気がします。
毎週毎週、力強く背中を押してもらっていたようにも思います。
迷いつつ立ち止まりつつ、志をもって生きよ、と。

ありがとうフジテレビ。

優しい音 [その他見聞]

吉田朋代チェンバロリサイタル@大阪・イシハラホール(6月7日17:00開演)を聴いてきました。

こんなに仕事が立て込んでいる時期に大阪なんてとても無理、とご案内いただいた当初はお断りしていたのですが、会社と家の往復でクサクサしているからこそ、チェンバロの音色で心を潤して、ついでに大阪観光&食いだおれして来てしまえ! と一念発起、日帰り弾丸ツアー決行となったのでした。

関西在住のチェンバロ奏者・吉田朋代さん。
ご主人のSさんと合唱仲間だったのがご縁で、数年前に知り合いました。
それはそれはもう美人さんで、しかもお話してみると大阪のノリで楽しく、
気は優しくて細やかな気遣いもできる、女性としても最高に魅力的な方。
Sさんとのお付き合いが長い私としては、
なんでこんな立派で素敵な人がお嫁に来てくれたんだろうと素で疑問(爆)。
でもやっぱりお似合いのご夫妻なんだよなあ。
この日もご主人は、来場者の皆様に甲斐甲斐しくご挨拶して回っておいででした。

演奏会のテーマは「ドイツ・バロック紀行 バッハの源流をめぐって」。バッハ以前のドイツの作曲家とバッハ自身の作品から、ドイツ・バロックの流れを辿っていきます。
チェンバロって何となく、ドイツというよりもフランスのイメージがあって、どうしてなんだろう、ドイツはオルガンかフォルテピアノなんだよなあ。チェンバロ協奏曲なんかでも、やっぱりちょっとフランスの風が薫ってきてしまう。…ような気がする。そこをどんなふうにお料理するのか、それ以前に朋代さんのチェンバロじたい聴くのが初めてなので、どんな音色を出すのかわくわく。

ピンクにお花のたくさんついた、でも華美になり過ぎないドレスで朋代さん登場。チケット完売とあって補助席に至るまでびっちり埋まった客席は、息を呑んで最初の音を待ちます。
鳴り出した音は、いろんな意味でたまらなく引き込まれる音色でした。

音楽って再現芸術だから、当時の演奏がどうだった、当時の音はどうだった、といくら考えても、やっぱり演奏している「今」のものでしかない。演奏解釈や音の出し方にしても、演奏家が100人いたら100通りあるわけで、そこに音楽の楽しみもあるし、苦しみもあるんだと思う。「今」「その人」の音を出すところまで行くには、相当の訓練が必要だし、いろんな葛藤もある。
曲を仕上げること。一つ一つの音に意味を与えること。全体としての楽曲を自分の言葉として語るところまで持っていくこと。
たとえば毎日、鍵盤の前に座ったときに感じる、手足が竦むような気分とか、弾いても弾いても技術的に前進しなくて、気が遠くなる感じとか。そういうものを乗り越えながら、曲を仕上げていくのって本当に大変なことだと思う。
今回の演奏は、そんなふうに自分と向き合いながら、自分の音や自分の演奏を探しながら、同時に弾くことを愛し続けている朋代さんの姿が、良くも悪くも無防備にさらけ出されている感じがして、何だかたまらない気持ちになりました。
根っこにある優しさとか、意外に肝が据わってる感じとか、緊張を楽しんでる感じとか、客席の後ろのほうまでダイレクトに伝わってくるのが素直で微笑ましくて。こういうチェンバロ、私はすごく好きです。

技術的なことは私にはよく分からないですが、チェンバロがこんな風に、弾く人の「心」を正直に音に乗せる楽器なのだということも痛感したし、同時に各々の作曲家の個性や魅力も損なわれずに伝わってくるのが面白かったです。
楽器はフランスくさいのに作品はドイツもの、というのも、うまいこと解決されているように聞こえました。変にフランスっぽさが主張するでもなく、典型的な「ドイツのおじさんサウンド」がちぐはぐに響くでもなく。作曲者と向き合っているというよりも、ここに関しては居並ぶおじさん達を手玉に取っている感じでした。
もっとチェンバロで「語れる」ようになったら素敵だろうと思うし、ご本人もそれを目指していらっしゃるのかなという印象を受けました。もっといろんな作品を聴いてみたいな。チェンバロじゃないナマの「語り」も、またそのうち…

プログラム的には、オルガン作品ではおなじみの作曲家たちのチェンバロ曲を聴けて、彼らの違った一面を垣間見たような、かなりトクした気分でした。特にブクステフーデなんて、あんなオルガン曲をつくる人が…くーっ!! こっちが照れそうなくらい可愛かった~。あとは私の中で「怖いおじさん」のイメージがある(なぜ…)ベームは、チェンバロ曲もやっぱり怖かった。

潜る人 [その他見聞]

テノール・畑儀文による「シューベルティアーデ mit フォルテピアノ」第2回(再公演)@自由学園明日館を聴いてまいりました。1月に開催されたものの、演奏者の体調不良により中止、再公演となったリベンジコンサートです。
兵庫・丹波篠山ご出身の畑さんは関西でも屈指のシューベルト歌い。地元・篠山で、お寺から小学校まで走り回ってシューベルトを演奏する「シューベルティアーデたんば」という秋の演奏会シリーズはもう10年以上前から続いていて、私も紫苑ゆうさんの「再会」で関西方面を旅行した際に電車に揺られて聴きに行ったことがあります。そんな畑さんの、「シューベルトの歌曲を、約8年かけて全部歌おう」企画の、なんと現在2クールめ。しかも①伴奏はフォルテピアノでやる、②会場は歴史あるホール(東京→明日館、大阪→甲子園ホテル)、③声部を問わず原曲のままの調で歌う、というこだわりのルールつきです。ひょんなことから第1回を聴きにいったことから、じゃあ最後まで付き合おうじゃないの、と仕事も早々に切り上げて駆け付けることにしております。

前回は本当に体調が悪そうで、1曲めから「なんかセーブして歌ってるなー」という感じだったのが、今回は打って変わって最初から最後までフルスロットルの熱唱・絶唱。「いつも曲と曲の間の喋りが多くて消耗するのだ、と反省しました。今回はあんまり喋りません」と宣言、マティッソンの詩による9曲を一気に歌い切っちゃったり、もう聴いているほうからしたらアトラクション満載の演奏会でした。ほかにもシラーやゲーテ、フケーなど、独文専攻だったくせに「興味ないわ」と避けて通っていた詩人たちの美しい詩が登場し、ああ、大学時代にどうしてもっと真剣にこの辺の詩も勉強しなかったんだろう、なんて軽く後悔したりしつつ、ドイツ語の響きに耳を傾けたり、目をつぶったり天井を見たりしながら、思い切り堪能しました。
それにしてもロマン派の特徴なのでしょうか、曲想がすごく自由でいいなー。バッハとかモンテヴェルディとかの時代って、やっぱり規則とか形式にとらわれていて、それが美しいのは何だかんだで形式美なんだろうし、ぐっと近現代にきてレーガーとかになると、面白いけど臨時記号やら転調やら変拍子やら、なかなか曲に感情移入しにくい要素が多くて、歌っていても曲に「取り組んでる」って気分。それに対してリートって、詩の持つ生暖かいロマンチックな雰囲気とか、恋する気持ちとか春が来た喜び、夜や闇や自然界に対する恐怖心なんかがすごく豊かに表現されていて、歌っていてもすごく気持ちいいんだろうな、というのが伝わってくるし、形式とか固いこと言わないのがピチピチ若さを感じさせて、抱きしめてあげたくなるような曲ばかり。

圧巻だったのは最後の20分もの「潜る人」。シラーの詩に作曲した大作で、音域は広いし伴奏も緩急ありのガテン系。
その昔、王様がご自分の盃を荒れ狂う海原に投げ入れておっしゃいました、「だれかこの海に潜り、盃を取ってくる勇気のある者はおらぬか」。逡巡する従僕の中からひとりの少年が進み出て、崖から海へドボン。海の中は恐ろしい形相をした、見たこともない怪物たちがウヨウヨ。やがて無事に盃をゲットして生還した少年は…。
最初に配布された歌詞解説と、お客は皆して歌詞解説を見ているだろうと思ってほぼ素の表情でフォルテピアノに向かう伴奏者と、静かに聴き入るほかのお客さんを見回しながら、やがて物語の世界に魂ごとゴッソリ持っていかれた形になり、心底楽しんで聴いてしまいました。バスの音域で書かれた作品ということで時たま苦しそうだった畑さんも疲れを見せぬパワフルな歌いっぷりで、おそらく滅多にライブで聴くことはないであろう作品を客席一同たっぷり堪能し、第3回での再会を誓って会場を後にしたのでした。


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