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迷う、迷わない [その他見聞]

高校生のころ、音楽の先生に「評論家になるな」という趣旨のことを厳しい口調で言われたことがあります。音楽でも何でも、「好き・嫌い」は言っても良いけれど「良い・悪い」を言う人にはなるなと。深く印象に残っていて、今でも肝に銘じています。

日本テレマン協会第194回定期(東京公演)「高田泰治によるJ.S.バッハの世界」@東京文化会館(7月16日19:00-)聴いてきました。
演奏曲目はBWV846とBWV988「ゴルトベルク変奏曲」。会場へ向かう途中に偶然にも音楽の先生からメールが届いたからというわけではないですが、久々に先生からの言葉を思い出しました。

「ゴルトベルク」はCDでは聴いたことがあったし、あまりに印象的な作品なので楽譜も見たことがあります。でもライブで全曲通して聴くのは初めて。休憩なしのブチ抜き90分、ちょっと軽く考えてました。長かった…
デザートバイキングを全制覇したときのような(←したことないけど)達成感と満腹感がありました。なんていうか、全部メインみたいな。フルコースのように緩急あるわけでもなく、普通のお料理みたいに火を通したり香辛料でごまかしたりするんじゃなく、繊細なもんは繊細なまま味わう、みたいな感覚もデザートを食べ続けている気分にさせられる時間でした。

チェンバロはすごく繊細な楽器です。鍵盤をどんなふうに押したかが如実に音に出る。弾く人の迷いも考えていることも、弦の弾かれる強さや音の長さになって全部こっちに伝わってくる。序盤は正直なところ、チェンバロが鳴らす音がリアルすぎて聴いてるこっちがビクビクしてしまいました。
でも途中から、これは怖がらずに聴いて良いんだなと思えるようになって、どんどん演奏に引き込まれていきました。何というか、弾きようによっては変幻自在、無限の音色を持つ楽器なのだということが、迷いのない演奏から伝わってくる気がしたからです。

迷いのない演奏。楽器の演奏に限らず、歌にしても仕事にしても、私には一生訪れない瞬間ではないかと思います。たぶん練習を重ねれば良いというものでもない。いわゆる「神さまが降りてくる」感覚って、ちょっと縁のない世界です。
これでもか、っていうくらい突き詰めても、まだもっと先があるのかもしれないと思ってしまう。これは才能というよりも性格の問題なんじゃないかな。例えば何かのキャッチコピーを考えるときや、私生活で言ったら新しい靴を買うときなんかもそうです。良いと思うんだけど、世の中にはもっともっと良い「解」があって、自分はまだそれに出合ってないような気がしてしまう。演奏を聴きながら、この人には「解」の見える瞬間が訪れるんだろうなあとぼんやりと感じていました。本当はどうなのか分からないけど、少なくともそんなふうに聞こえる演奏です。

迷いのない演奏と、「解」が見つからずに迷いながらぶつかってくる演奏。それこそどちらが「良い・悪い」ではなくて、聴く者の感受性にどう触れるかなんだろうなあ。私は自分が「解」を出せない性格だから後者には強く惹かれてしまうのですが、一方で説得力たっぷりのバッハも今の自分には必要だったような気がしてしまいました。
どんな作品からも「父親」を感じさせるバッハ。「ゴルトベルク」も温かく厳然としたサウンドが本当に心地良いのですが、それがものすごい説得力で濁流のようになだれ込んでくると、背中をバーンと強く叩かれているような気分で。心が折れるかと思うほどの激務で少し弱っていた私の根性に、「そんな甘ったれた考えじゃいか~ん!!」と喝を入れられているような。終わってみたら背筋がまっすぐ伸びた状態で歩いてました。偉大なりセバスチャン。

演奏者・高田さんは不思議というか挙動不審というか、独特の雰囲気を漂わせている人。客席で偶然お会いした知人が「ミステリーだわね」と断言して帰っていかれました。演奏してないときは目が泳いでるのに、ひとたび鍵盤に向かうとまっすぐ前を見据える視線、素敵でした。やっぱり演奏会っていいな。
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