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潜る人 [その他見聞]

テノール・畑儀文による「シューベルティアーデ mit フォルテピアノ」第2回(再公演)@自由学園明日館を聴いてまいりました。1月に開催されたものの、演奏者の体調不良により中止、再公演となったリベンジコンサートです。
兵庫・丹波篠山ご出身の畑さんは関西でも屈指のシューベルト歌い。地元・篠山で、お寺から小学校まで走り回ってシューベルトを演奏する「シューベルティアーデたんば」という秋の演奏会シリーズはもう10年以上前から続いていて、私も紫苑ゆうさんの「再会」で関西方面を旅行した際に電車に揺られて聴きに行ったことがあります。そんな畑さんの、「シューベルトの歌曲を、約8年かけて全部歌おう」企画の、なんと現在2クールめ。しかも①伴奏はフォルテピアノでやる、②会場は歴史あるホール(東京→明日館、大阪→甲子園ホテル)、③声部を問わず原曲のままの調で歌う、というこだわりのルールつきです。ひょんなことから第1回を聴きにいったことから、じゃあ最後まで付き合おうじゃないの、と仕事も早々に切り上げて駆け付けることにしております。

前回は本当に体調が悪そうで、1曲めから「なんかセーブして歌ってるなー」という感じだったのが、今回は打って変わって最初から最後までフルスロットルの熱唱・絶唱。「いつも曲と曲の間の喋りが多くて消耗するのだ、と反省しました。今回はあんまり喋りません」と宣言、マティッソンの詩による9曲を一気に歌い切っちゃったり、もう聴いているほうからしたらアトラクション満載の演奏会でした。ほかにもシラーやゲーテ、フケーなど、独文専攻だったくせに「興味ないわ」と避けて通っていた詩人たちの美しい詩が登場し、ああ、大学時代にどうしてもっと真剣にこの辺の詩も勉強しなかったんだろう、なんて軽く後悔したりしつつ、ドイツ語の響きに耳を傾けたり、目をつぶったり天井を見たりしながら、思い切り堪能しました。
それにしてもロマン派の特徴なのでしょうか、曲想がすごく自由でいいなー。バッハとかモンテヴェルディとかの時代って、やっぱり規則とか形式にとらわれていて、それが美しいのは何だかんだで形式美なんだろうし、ぐっと近現代にきてレーガーとかになると、面白いけど臨時記号やら転調やら変拍子やら、なかなか曲に感情移入しにくい要素が多くて、歌っていても曲に「取り組んでる」って気分。それに対してリートって、詩の持つ生暖かいロマンチックな雰囲気とか、恋する気持ちとか春が来た喜び、夜や闇や自然界に対する恐怖心なんかがすごく豊かに表現されていて、歌っていてもすごく気持ちいいんだろうな、というのが伝わってくるし、形式とか固いこと言わないのがピチピチ若さを感じさせて、抱きしめてあげたくなるような曲ばかり。

圧巻だったのは最後の20分もの「潜る人」。シラーの詩に作曲した大作で、音域は広いし伴奏も緩急ありのガテン系。
その昔、王様がご自分の盃を荒れ狂う海原に投げ入れておっしゃいました、「だれかこの海に潜り、盃を取ってくる勇気のある者はおらぬか」。逡巡する従僕の中からひとりの少年が進み出て、崖から海へドボン。海の中は恐ろしい形相をした、見たこともない怪物たちがウヨウヨ。やがて無事に盃をゲットして生還した少年は…。
最初に配布された歌詞解説と、お客は皆して歌詞解説を見ているだろうと思ってほぼ素の表情でフォルテピアノに向かう伴奏者と、静かに聴き入るほかのお客さんを見回しながら、やがて物語の世界に魂ごとゴッソリ持っていかれた形になり、心底楽しんで聴いてしまいました。バスの音域で書かれた作品ということで時たま苦しそうだった畑さんも疲れを見せぬパワフルな歌いっぷりで、おそらく滅多にライブで聴くことはないであろう作品を客席一同たっぷり堪能し、第3回での再会を誓って会場を後にしたのでした。


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