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不思議なめぐり合わせの日 [合唱]

3月21日はわれらがヨハン・セバスチャン・バッハのお誕生日。
そして今年は聖金曜日が偶然にも重なりました。
いまテレビでバッハの「ヨハネ受難曲」を聴いてます。

苦しみを受けたあの人のことを思い出す日でもあり、美しい受難曲をつむいだ、かの人が生をうけた日。
何だか不思議なめぐり合わせです。
「ヨハネ」は合唱団で初めてドイツ語歌詞解説に関わった作品でもあり、言葉や物語を堪能した思い出深い作品です。好きな曲もたくさんあるし。

日曜日はイースター。
そして長い祈りの夜が明けると、春はすぐそこ。
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赤鼻のトナカイ [合唱]

やってきました、この季節。年がら年中クリスマス気分の私に、世間がやっと追いつく時期でございます。中学1年で学校の聖歌隊に入って以来、クリスマスは歌って過ごすもの、という習慣が沁みついておりまして、以後、高校・大学・留学中と、ずっとクリスマスを歌って過ごしてまいりました。歌いすぎて喉をつぶし、先輩に怒られたこと。高校3年のクリスマス礼拝、歌い終えたあとの充足感と、もう二度とここでセーラー服を着て歌うことはないんだと実感したときにこみ上げてきた寂寥感。留学先、ドイツ・ケルンの街の教会で迎えたイブのミサ、寒さをこらえながら歌った聖歌隊席、香の煙とろうそくの光で幻想的に光っていた祭壇。どんなに寂しくても、私には歌があると、歌っている限り同じようにクリスマスが巡ってくると、慰められたあの冬。寒空の中、白いガウンに身を包んでキャンドルサービスをしたあの夜。一年ごとに様々な思い出が積み重なって、クリスマスは年々、私にとって大切な季節になっていきます。

3年ほど前に歌好きの仲間が集まって、クリスマスキャロルのライブをやろう! という企画が持ち上がりました。クリスマスキャロルといえば大好物、もちろん賛成! ということで毎年、老人ホームへお邪魔したり、都内某所でライブっぽいことをしたりして歌っています。
で、今日はこの企画では初の「1日2ステージ」というのをやってきました。お昼に老人ホームのイベントホールに集合して舞台のセッティング。リハーサルと本番をこなすと、撤収して車に分乗し、20分ほどで同系列の老人ホームへ移動。そこでちょっと声を出してまた本番。1時間ほど歌いまくりのステージを2本。
…いやはや、若さを過信しておりました。へとへとです。なんせクリスマスキャロルって、陽気で楽しい曲が多く、どうしても全力で歌ってしまうしシャウトしてしまうことが多い。ちょっとくらい発声にムリがあっても、エイヤ! で歌えてしまうレパートリーが多いし。先日、4時間ぶっ通しでリハーサルをやった折にも、最初の1時間でバテてしまい、差し入れのお菓子を休憩のたびに夢中になって食べておったのですが、とにかくペース配分なんてしてる場合じゃないんです、楽しくて。しかも本番はライブなのでお客様のリアクションが伝わってくるし、老人ホームとなると反応もピュアだし客席も近いしで、たちまちエンジン全開になってしまうのです。

老人ホームっていろんな入居者の方がおられて、いろいろ大変そうだなー、とかマジになって考えてしまうと楽しく歌ってる場合じゃなくなってしまいそうなのですが、でもこうして歌いに行くとすごく楽しみにしていてくださって、イスの席も車椅子のスペースも超満員。手拍子をしてくださったり、一緒になって歌ってくださったり。年に一度だけ現れては英語のキャロルばかり披露していく私たちの歌が、彼らにとってどれだけの慰めになっているかなんて分からないけれど、そんなことどうでもよくなります。慰められているのは、私のほうかもしれないし。それこそ年代も、経験してきたことの量も質も違う人たちと、楽しいクリスマスの歌を通して同じ時間を共有できることは、私にとってすごく貴重な体験です。ものすごく半端なタイミングで「この曲、ワシも昔、歌ったことがある」とか「心が洗われました、ありがとう」とか脈絡もなく頂戴する掛け声。全然合ってないけど夢中な手拍子。ああ、聞いてもらえてるんだな、心に届いてるんだな、と思うともう、たまらなくなります。
毎年、クリスマスに歌うたびに感じること。来年も再来年も、ずっとずっと、声が続く限り、クリスマスを歌おう。場所がどこでも、聴いてくれる人がいてもいなくても、誰かのために、自分のために、クリスマスは歌って過ごそう。

今年のレパートリーで特にウケがよかったのは「クリスマスの12日」と「赤鼻のトナカイ」でした。今年も皆が平和なクリスマスを迎えることができますように。


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おめでとう!! [合唱]

いいお天気になった土曜日、サークルで同期だった友人の結婚式に出てきました。オルガンのほうも前日けっこう早い段階で光が見え、これならいけるかな、という感じで当日を迎えました。友人(花嫁)のお父様が聖歌隊歴が長いとのことで、百戦錬磨って感じのご指導でリハーサルからすごい気合の入りよう。でもおかげさまで和やかに楽しく弾くことができました。

学生時代、オルガニストをしていたときにもよく言われましたが、典礼(礼拝儀式)におけるオルガニストは単なる伴奏者ではなく、司式司祭(神父さん)とともに儀式の空気をつくるというか、参列者を祈りに導いたり、儀式のもつメッセージの理解を助けたりする、けっこう重要な役割を持っています。コンサートなどとはまた違った緊張感がありますね。いざ式が始まってしまうと、自分で判断しないといけないことがけっこうあったり、オルガンの音色ひとつで場の雰囲気が左右されてしまったり、曲が弾けること以上のものを要求される、侮れないお仕事だったりします。その代わり、オルガンを弾いた思い出って鮮烈に残るもので、そういう意味では結婚式を始め、本当にいろいろと貴重な場面でオルガンを弾かせていただいた気がします。
今回の司式をしてくださった神父さんも、終生誓願(一生この世界で生きていきます、という誓願)の記念ミサでオルガンを弾かせていただきました。聖堂のいちばん後方でオルガンに向かっていたために、終生誓願式がどんな儀式だったのかよく知らないんですけどね。そしてこの神父さんはウチの大学の教員でもあります。そう、ウチの大学では、お世話になった先生(神父さん)に結婚式を挙げていただくことができるのです。今回はお説教にて、新婦が在学中にこの先生の授業で提出したというレポートの内容が暴露される、なんてハプニングもありました。アットホームというか油断も隙もないというか(終わってから彼女のお母様が先生に、「うちの子、ちゃんと勉強してたんでしょうか?」なんて三者面談ばりに食ってかかってたのも、本気かギャグか分からなくて可笑しかった)。

暖かくていい式でした。懐かしい同期や後輩とも一緒に歌えて嬉しかった。教会の暦では翌日から、クリスマスを待つ待降節がスタートします。一日早いですが、新郎新婦の退場後にアドリブで一曲、待降節の曲をオルガンで披露しちゃいました。通称「天露」ってやつです。だって何だか嬉しかったんだも~ん。
新郎新婦のお二人、ご家族ご親族の皆さま、おめでとうございました。今回はオルガンご指名いただきありがとう。末永くお幸せに。


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腕が鳴る、指は動かず [合唱]

学生時代、サークル(聖歌隊)でオルガニストをしていたことがあります。楽器の経験は小学校5年生で挫折したピアノのみ。あと半年くらいバイオリンをいじったことがある(のを今思い出した…なかったことにしたい)。そんなわけでほぼ10年ぶりに鍵盤楽器に触った一年間でしたが、なかなか貴重な体験でした。皆より一週間以上早く譜読みを仕上げていたので、それまで以上に合唱やアンサンブルに対する姿勢も積極的になったし。数か月前には自分が弾くなんて考えられなかった難曲を完成させるために、キーボードにイヤホンをつけて夜中の3時くらいまで弾きまくったこともありました。それまであまりお話したことのなかったオルガニストの先輩がたにもレッスンしていただいたり。練習開始日には伴奏を仕上げておく、というポリシーを意地で守っていたのと、合宿中も弱音器をつけて早朝練習(←もちろんアピール)したりしていたこともあり、次第に伴奏者として周りから認めてもらえるようにもなりました。サークルを引退し、大学を卒業してからも、伴奏が必要、となると声を掛けていただけてます。さすがに弾ける曲は限定的だけどね。
同級生で学生指揮者をしていた友人が結婚することになり(おめでとう!!)、この週末の結婚式でのオルガニストを頼まれました。オルガニスト時代、シビアな要求と情熱的な個人練習で築いた厚い友情。お互い確信をもってやっているようで、それでいて人生初のお役目に突っついたら倒れそうなくらい緊張していて、それでもどうにかこうにか、身を寄せ合って力を振り絞って、いろんな曲を仕上げていったし、いろんな思い出をつくったね。私が皆より一年遅れで大学を卒業する折には、洗礼式の代母も引き受けていただきました。
先輩や後輩の結婚式でオルガニストを頼まれたことはあったけれど、同期の、しかもあんなに濃い時間を一緒に過ごした彼女の結婚式でオルガンを弾けることは光栄でもあり、また大変に緊張もしております。生粋のカトリックでご家族も教会音楽には一家言あるみたいだし…うう、武者震い。
それより何より、オルガニストを引き受けるのが久々なもので、すっかり指が鈍ってまして。あんな曲も入れたいな、こんなアレンジも良いかな、と張り切るばかりでなかなか曲が仕上がってくれないの。直前の週末に神戸で遊びほうけてしまったのも痛かった。今週に入って特訓を始めてます。ようやく往時のカンが戻ってきて、一両日中にはどうにかなりそうです。新郎新婦さま、どうかご安心を。
久しぶりに鍵盤に立ち向かって、ものすごく充実した日々を過ごしています。あの、怒涛のようにオルガンに向かっていた一年を、オルガンの音色から教えてもらった音楽の秘密を、教会音楽との濃い毎日が導いてくれた、コラールとの邂逅を、順番に楽しく思い出しつつ、アパートのお隣さんを気にしながら歌いつつ弾いてます。一人前に衣装と靴も新調してしまってワクワク。当日、いいお天気になるといいね。


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一夜明けて [合唱]

昨日、前回の演奏会のリハーサル録音を聴いて悦に入っていた、とお話しましたが、仕事中ずっと流しっぱなしにしていると、やはりアラが見えてくるものでして…。自分の声も浮き立って聞こえるようになり、うわっ! どんな歌い方してるんだよ! ってな突っ込みどころ多数で、何だかちょっと自己嫌悪に近い気分です。
アマチュア合唱をする人間にとって、いやこれは職業音楽家でもそうかもしれないですが、いざ冷静になって自分の声を聞くというのは、ちょっとした拷問に近いものがあります。自分に聞こえている声と外に向かって鳴っている声は違うもので、「私って、こんな声だったんだ…ショック」となるのが一般的。だから私はカラオケが大の苦手。それに、自分の話す声にもかなりコンプレックス持ってます。
文章を書くのもそうかな。キーボード叩いてカタカタやっているときと、いざ出力したものを読んだときとでは、その文章から受ける印象って全然別モノで、「はあー、私ってこんなヒドい文章しか書けないのか…」ってなる。まあ、人生ってこういうことの繰り返しなのかもね。
『人間は努力する限り迷うものだ(ゲーテ)』
大切なことは、こういうせっかくの機会には冷静に反省し、仮説と検証? 傾向と対策? ま、とにかく次へ活かすこと。

と、いうわけで反省タイム。ネタばれというより、wwwを利用して反省することなのか疑問ですが…
・何はなくとも、こもった声ですねー。
 これはここ数年のクセ。いつごろからかなー。特に「ここぞ」というタイミングでピッチの低い声が目立ちます。母音がこもっているだけでなく、出し方の問題という気が。
・重たい声ですねー。
 下の倍音がいっぱい鳴っている、というつもりで(勝手に)おったのですが、軽く歌うべきフレーズとか、フレーズ末の収めるとことか、ドスンと尻餅つく感じがいかにも鈍くさい。
・歌詞のつけ方にクセがありますねー。
 リエゾンしすぎだし、語末に母音が勝手な方向へ行っています。このせいでテンポを乱している可能性あり。これは英語でもドイツ語でも、日本語でもそうなのではという気がする。いちばんリハビリの必要なところでしょう。

でも、そうは言っても練習が進むうちに目に見えてどんどん確実にいい声、いいハーモニーになっていくのが今回のリハーサル録音のおいしいところ。だからこそこういう反省会も苦にならないですね。
それに、何だかんだと言っても、合唱を始めてからずっと、「上手になりたい」「いい歌を歌いたい」と闘い続けている自分がちょっと微笑ましかったり。歌を始めてかれこれ17年になるけれど、注意されたり自分で気付いたりしたことはそれなりに気にしつつ、直そうとしつつ歌ってるつもりだし、そうして日々研鑽するのは本当に楽しい作業だし、だから歌っていいな、歌を続けるって魅力的だなと思うのであります。
世の中にはステキな音楽作品が山ほどあって、歌ってみたい作品、もう一度やってみたい曲がたくさん。次に訪れる、ステキな音楽との邂逅のために、これからもずっとずっと、歌声に磨きをかけなければとの思いを新たにしたのでありました。


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シュトラウベ・マジック [合唱]

今年の一月、わが合唱団ではドイツ・ハノーファーでご活躍中の音楽家、イェルク・シュトラウベ氏をお招きして「メサイア」の演奏会を開催しました。中学生のころから大好きな「メサイア」、全曲に取り組むのは初めてだったので譜読みから気合い全開、張り切りすぎてちょっと痛い思いをしたりもありましたが、指揮者・シュトラウベさんの魔法のような指導で自分たちも信じられないような音色が出てきて(彼のキャッチコピーは、「バラエティ豊かな音色とテクニックを歌手たちから引き出す手腕」…うーむ、納得)、とにかく楽しい演奏会だったのでした。
演奏会がすんだころ、やはりシュトラウベさんを招いて演奏会をした、こちらはプロの演奏団体のかたと、あの魔法にかかったような楽しい日々を「シュトラウベ・マジックにかかった」と表現していました。部活あがり(中学からずーっと、教会音楽の合唱という同じ活動を続けておるのであります)の私からすると、何となく合唱の練習というのは、ストイックで、針の穴に糸を通すみたいにピッチを合わせるとか、そういう根性のいる作業が大部分で、「楽しんで歌いましょう!!」とはいうものの、それはそれ、これはこれというか、そうやってみみっちい練習をする過程を楽しんでしまう物好きが歌仲間なんだ、という感覚だったのでした。
それが、シュトラウベさんの練習というのは、もちろん厳しいことも言うし、どうやったらこの部分が上手に歌えるようになるかとか、どのパートが足を引っ張っているか、とかいった、どちらかというとみみっちい話もあるのに、けっきょく最後は「とにかく楽しく歌いましょう」「歌う楽しさや音楽の喜びを聴衆に届けましょう」みたいな話になる。しかも、そういう話に対してこれまで何度か感じたことのある空虚さを、いっさい感じさせないところが、シュトラウベさんのすごいところなのです。
「楽しんで歌いましょう」という話は、教会音楽の合唱を15年以上もやっている私には耳タコな科白でもあるのですが、「まだ今はそれどこじゃないんだよ!!」という状況だったり、つまり、楽しむ前にやることがあるんでは、という仕上がり具合な場合あり、「楽しもう」という方向に逃げて曲を仕上げる作業を放棄しそうな合唱団の雰囲気だったりすると、逆に冷めてしまって、しゃかりきに歌ってたり。シュトラウベさんの場合、そこがね、どう表現したらいいのか分からないけど、ちゃんと中味がともなっていてこちらも乗せられているのが分かっていてもそれが不快じゃなくむしろ気持ちよかったのでした。

で、その練習をこれまた楽しく毎回こりずに録音していたMDが、先日どっさり発掘(一月に録音したものを「発掘」って…)されたので、連休なのに出社となった今日、会社に持ち込んで聴きながらお仕事していたのでした。
いや~、やられました。シュトラウベ・マジックに二度も殺されるとは。リハーサルの録音だというのに、しかも自分たちの歌声だというのに、なんてステキな聴き心地(うっとり)。特に本番が近づくにつれ、合唱団のボルテージも盛り上がり、「これはもしかしたら、もしかするかも…!?」みたいなテンションがさらに拍車をかけ、至極ゴキゲンでこなしていたのですが、改めて聴いてみると。上手いわ(自画自賛)。しかも、ソリストやオーケストラ(皆さんプロ)もやはり乗せられてるの分かっててちゃっかり乗せられて演奏していたそうで、共演者も皆ノリノリ。
「セクシーに!」なんて指示されたら「はいっ!!」とばかりにその路線を走るべく磨きをかけ、「この作品は250年間、ヒットチャート10位以内をキープし続けてるんだから、ビートルズとか歌うつもりで歌おう」と語りかけられればさらに楽しく、なにより「私たちってこんなに心底、歌が好きだったんだわ…」というのを、凝縮された時間の中で感じてしまったあの日々を思い出しつつ、大胆かつ繊細、情感ありつつバロックの味もあり、の濃厚なサウンドに浸ったのでした。こんな感覚を味わえるのも合唱を続けていてこそ。またこんな体験を何度もしてみたいな。

さて、肝心の仕事の進捗のほうは。
…さすがにシュトラウベさんの魔法も、私の仕事のスピードを100倍にするほどの効き目はなかったみたいです。


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