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遠くにいても…再会レポート1 [紫苑ゆう「再会」パートXまで]

初期のころの「再会」でのこと。終盤近く、シメさんが「また来年もお会いしましょう」みたいな話を始めたとき、ちょっと困ったような顔をした。「でも分からないんですよね、舞台にも立ってなくて、芸能活動もしてなくて、学校の先生やってるだけの一般人に、そんなに皆さん会いたいんですか?」「(フンフンと頷く客席)」「ん~、分からない…」「???(何が疑問なのか、分からない客席)」言われてみると、いくら元宝塚のスターだからって、現在では一般人になっちゃった人に会うために、数か月前からドキドキワクワクして、ホテルを取って新幹線を予約して、おしゃれして集まってくる私たちって、実は相当ヘンなのかもしれない…。実際、何が楽しくて会いに行くのかなんて、考えたこともなかった。ファン活動に燃えまくっていたあのころの、旧きよき時代の思い出に浸りに行っているだけなのかもしれないし、「やっぱり今の現役さんより、シメさんよね~」という認識を共有しに行くのかもしれないし、実はあまり清潔な動機ではないような気がすることもある。
でもやっぱり、シメさんの姿を見て、歌を聴いて、近況報告に耳を傾けて、同じ時間を過ごすだけで、私たちはとってもとっても幸せになれるのだ。何年たっても「会いたい」と思わせるだけのミリョクを持った人だし、会えばすんごく楽しいし、今でもスターのオーラをガンガン出してるし、それでいて今の生き方をめいっぱい楽しんでるし、一般人としても、人生の少し前を歩いている大人の女性としても、お手本にしたいしずっと見ていたい人。

自称「冷やかし」で宝塚の舞台を再び観るようになって、宝塚のファンは本当に暖かいな、と痛感することが多い。縁もゆかりもない、ふつうの女の子が、だんだんに舞台の上で成長していく姿を、あたかも肉親のことであるかのように見守るファン。役がつけば泣き、トップになれば泣き、これでサヨナラだと思うと泣けてくる。当のジェンヌはさぞびっくりすることだろう。ただがむしゃらに、毎日がんばってるだけなのに、家を一歩出たところから追っかけてくれる人がいる。がんばって、って言ってくれる。自分のために泣いてくれる人がいる。こんな世界が、ほかにあるだろうか。
「私がこんなに愛されているのは、宝塚が素晴らしいところだから」とシメさんは繰り返して言う。イヤ、シメさんが素晴らしいからです、と私たちはすかさず返すけれど、最近やっとその意味するところが分かってきたような。時代が変わっても絶えることのないアツいファン。その眼差しに応える生徒。役者も観客もスタッフも、皆が引き込まれ夢中になってしまうシステム(まあ不平不満もありますけどね…)。
最近はシメさんも、「再会」に人がドカドカ集まることを、素直に嬉しいと思えるようになったのだという。実は私たちの知らない葛藤とかあったのかもしれないけれど。現役時代のいろいろを、苦労や辛かったことまで手放しで肯定してくれる人がいること、一般人になってからの自分にも会いたいと思ってくれて、それぞれの一年を抱えて集まってくれる人がいること。そんな人たちの愛を受け留めようって、思ってもらえたのかな。シメさんの魅力って、愛されキャラであること以上に、他人からの愛をきちんと受け取れることじゃないかと思う。ちゃんと「あなたからの想いを受け取りました」っていうサインが伝わってくるもん。だからこそ、その愛を周りの人に配るのも自然にできるし。
「再会」でシメさんに会えるのはそんなこんなで嬉しいことだけれど、会えなくても(実際に「再会」が始まる前の5年間もそうだった)寂しいだけで不安はない。「私はこれからずっと幸せです、そして皆さんの幸せを、遠くにいても祈っています」と言った退団の挨拶が、心からのものだと信じられるからだ。会えなくても、シメさんはシメさんらしく、自分の選ぶ道を行くし、今日もどこかで幸せに笑ってるのが分かる。

…と、レポート1は実際のシメさんが登場しないまま終了。次は近況報告編です。

<その他の記事>
レポート0(速報)レポート2(トーク)レポート3(歌)


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